2年生の冬を超えて、
ある試合をきっかけに僕は急成長を遂げます。
ベンチに入っていたある試合、
当時オール枚方の監督は鍛冶舎監督(現県立岐阜商業監督)。
チャンスを迎えていた5回
鍛冶舎監督に「ヒロ、手を見せてみろ」
と急に呼ばれました。
掌を見せると、
「よし、行ってこい」
と代打へ。
そこで僕は
ホームラン
を打つことができました。
さらには次の打席もホームランを打ち、
2打席連続ホームラン!
おそらく僕の練習で出来た「掌のマメ」を見て
代打に抜擢してくれたんだと思います。
そこから僕は覚醒しました。
中学3年生時、165センチ体重60キロにもかかわらず
毎日必死に練習していた僕はデカい奴らに負けないくらいの力強いスイング力を手に入れていました。
むしろ、自分より大きい選手より飛ばせるようになりました。
バッティングに力がついて、3年生の4月にスタメンを勝ち取ることになります。
入学時同じ身長だった山足の成長スピードもとんでもなく、1番ミノルマン2番山足という、1、2番コンビになりました。
結果、3年引退時には30本近くのホームランを打つことができ、通算打率も5割ほどの成績を残せました。
チーム成績も硬式戦90勝1敗
春の全国大会、
夏の全国大会、
ジャイアンツカップ、
前人未到の三冠
を達成しました。
そして、世界大会では個人MVPを獲得しました。
その後、
僕と山足は2人揃って大阪桐蔭高校に進学。
入学時には想像できなかった、
夢にも思ってない世界へ
飛び込むことが出来ました。