プロ野球選手になれなかった

ミノルマンだからこそ伝えれる

身長、体格、センスは関係ない!

試合で活躍し続ける方法

プロ野球選手になれなかった

ミノルマンだからこそ伝えれる

身長、体格、センスは関係ない!

試合で活躍し続ける方法

僕の人生は全てが野球

プロ野球選手にはなれなかったけど、

青春の全てを野球に費やしてきたし、

今も野球の仕事をしている。

プロ野球選手になれなかった

僕だからこそ

今野球をしている選手へ

伝えられることがあります。

野球少年少女、

親御様には特に読んで欲しいです。

気持ちを込めて書きましたので、

ぜひ、最後まで読んでください。

なぜ野球指導を始めたのか?

それは

日本に野球指導者がほとんどいないからです。

指導を始めて10年弱になりますが、今でも選手を指導することや、指導現場を見ることがありますが指導者のレベルというか、そもそも「指導者がいない」というのが現状です。

 

もちろん監督やコーチも野球経験があり、素晴らしい実績を持たれている方もいますが、本業が野球ではありません。

 

特に地方では野球を存分にできる場所も少なくなってきており、強いチームとの練習環境の差がますます開いています。

 

そんなんじゃダメだ!

 

場所や育った環境は関係なく、やる気のある人はトップレベルの指導を受ける機会が必要です。

 

野球はいろんなことを教えてくれます。

考え方、チームワーク、勝ち負けの経験、礼儀作法、あげればキリがありませんが、野球は素晴らしい経験を与えてくれます。

 

全員野球をすればいいと本気でそう思っています。

 

僕の夢は

日本の野球技術を底上げ

すること。

 

だから僕が現場から日本の野球技術を底上げし、野球の素晴らしさを伝えていきます。

ミノルマンとは何者?

まず、僕が何者かというと

 

廣畑 実(ミノルマン) 1993年生まれ。

 

枚方ボーイズ 日本一、世界大会個人MVP


大阪桐蔭高校 第27代主将


亜細亜大学 明治神宮大会優勝


JR東海 社会人野球


野球指導者 youtube11万人
(野球指導者では日本1位の登録者数)

 

ざっくりこんな感じです。

こんな僕も昔は、、

『綺麗な経歴ですね』

 

と言われることもありますが、僕もかなり苦労しました。

 

小学校から野球を始めた僕は地域の野球チームでは圧倒的に上手く、他チームからも一目置かれていました。

 

 

もちろん、エースで4番

 

 

センスがあった僕を指導してくれる人は周りにほとんどいませんでした。

 

 

冗談抜きで枚方(地元)では一番上手いと言われていました。

 

そして学童野球が終わり、

いよいよ中学野球に挑戦。

 

選んだチームは

 

『オール枚方』 現 枚方ボーイズです。

 

 

枚方ボーイズ出身のプロ野球選手では

 

千葉ロッテマリーンズ

国吉投手

藤原選手

 

広島東洋カープ

小園選手

 

オリックスバファローズ

僕(ミノルマン)と同級生の山足選手 

 

トッププレイヤーが多く在籍していた

全国で有名なボーイズに入ることになりました。
 

もちろん一番上手いだろう

とはいえ自信満々だった僕は

 

『もちろん僕が1番上手いだろう』

 

と思って入部しました。

 

しかし

 

予想を裏切りとんでもない化け物達ばかり、、

 

当初1年生の入団人数は約30名ほど

 

周りを見渡すと同学年なのに

 

180センチ、178センチ、175センチ、、、、、

 

めちゃくちゃでかい選手ばかり、

 

遠投をしてみると、

 

90メートル、88メートル、85メートル、

 

いやいや、硬式球でそんな投げれますか?笑

 

と笑うしかなかったです。

 

ちなみに僕は68メートル

 

下から数えた方が早かった。

 

小学校の時に伸びた天狗の鼻がポキっと折れました。

 

「こんなところで僕は野球をしていけるのか、、」

 

いきなり不安が襲いかかりました。

 

その中で背丈が同じだったのは

現 オリックスバファローズの山足選手だけ。

 

投げても、打っても、走っても

 

この才能溢れた同学年の選手には敵わない。

 

どうしようか。

 

絶望的な感情に襲われました、

まだ何もしてないじゃないか

「どうしよう。

 

今まで味わったことがない感情になりました。

 

でもまだ何もしてないじゃないか。

 

諦めるのはまだ早いし、

 

諦めきれない。

 

どうやったらこの化け物たちに勝てるのか

 

『よし!日本一練習しよう』

 

勉強はしてこなかったので、

それしか思いつきませんでした。

 

そこからは365日練習しました。

 

毎朝5時に起きて

 

ランニング7キロ

 

30メートルダッシュ10本

 

全力素振り100回

 

学校の休み時間に

 

坂道ダッシュ10本

 

逆立ち腕立て30回

 

夜は

ランニング7キロ

 

腹筋300回

 

背筋300回

 

腕立て100回

 

全力素振り1時間
 

インフルエンザにかかった時以外は毎日取り組みました。

 

雨だろうが雷がだろうが関係なく

 

ただガムシャラ取り組むのみ。

 

ちなみに

 

土日も個人でこのメニューをしてからチーム練習にいき、

 

帰ってきてからまた練習していました。

 

山足とよく絶対に試合で活躍しようぜと話してました。

 

努力をしていた自信がありましたが、

まだ試合には出れず。

 

悔しい日々の毎日。

 

何度も心が折れそうになりました。

チャンスは突然来る

2年生の冬を超えて、
 

ある試合をきっかけに僕は急成長を遂げます。

 

ベンチに入っていたある試合、

 

当時オール枚方の監督は鍛冶舎監督(現県立岐阜商業監督)。

 

チャンスを迎えていた5回

 

鍛冶舎監督に「ヒロ、手を見せてみろ」

 

と急に呼ばれました。

 

掌を見せると、

 

「よし、行ってこい」

 

と代打へ。

 

そこで僕は

 

ホームラン

 

を打つことができました。

 

さらには次の打席もホームランを打ち、

 

2打席連続ホームラン!

 

おそらく僕の練習で出来た「掌のマメ」を見て

 

代打に抜擢してくれたんだと思います。

 

そこから僕は覚醒しました。

 

中学3年生時、165センチ体重60キロにもかかわらず

 

毎日必死に練習していた僕はデカい奴らに負けないくらいの力強いスイング力を手に入れていました。

 

むしろ、自分より大きい選手より飛ばせるようになりました。

 

バッティングに力がついて、3年生の4月にスタメンを勝ち取ることになります。

 

入学時同じ身長だった山足の成長スピードもとんでもなく、1番ミノルマン2番山足という、1、2番コンビになりました。

 

結果、3年引退時には30本近くのホームランを打つことができ、通算打率も5割ほどの成績を残せました。

 

チーム成績も硬式戦90勝1敗

 

春の全国大会、

夏の全国大会、

ジャイアンツカップ、

前人未到の三冠

 

を達成しました。

 

そして、世界大会では個人MVPを獲得しました。

 

その後、

僕と山足は2人揃って大阪桐蔭高校に進学。

 

入学時には想像できなかった、

 

夢にも思ってない世界へ

 

飛び込むことが出来ました。

 

最後まで諦めるな!

つまり、何がいいたかというと

 

諦めずに努力すれば

 

思ってもない世界が待ってるという事です。

 

身長が低いだとか

 

力がないだとか

 

技術がないだとか

 

全く関係なくて

 

どれだけ信念を持って取り組めるかそれだけです。

 

今の時代はSNSや情報が発展していて、昔より学びやすい環境ではありますが、本当の技術やマインドを伝えているのは一握りです。

 

プロ野球選手を本気で目指し

 

プロ野球選手になれなかった僕だから

 

皆さんに伝えられることがあります。

 

今は野球スクール、オンライン野球指導合わせて1,000名以上の会員様がいらっしゃいます。

 

おそらく日本一会員数が多い野球スクールです。

 

現状、

 

日本で一番選手を指導している自信があります。

 

僕達に任せてください!

 

もう変わる準備はできましたか?

 

選手達の伸び代は無限大です。
 

自分の可能性を信じて

 

一緒に突き進みましょう!

 

詳しくは